銀閣寺って銀じゃないのに何で「銀閣寺」

歴史

京都には歴史的建造物が多く存在していますが、その中でも人気の観光スポットとなっているのは、名前の通り、黄金に輝く「金閣寺」

一方、こちらも観光スポットとして人気ですが、金閣寺ほどインパクトはなく、名前とは反し銀色ではない「銀閣寺」

金閣寺は金色なのに銀閣寺は銀色じゃないなんて紛らわしい!と修学旅行生の逆鱗に触れた話もあるようですが、池泉回遊式庭園のバックに立つ銀閣寺の姿は、まさに絶景です。

しかし、今回の本題は風情の美しさではなく、銀閣寺が何故「銀」ではないのか?ですので、しっかりと調査した結果をまとめていきたいと思います。

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銀閣寺と呼ばれる理由

歴史に詳しい方であれば常識かもしれませんが、銀閣寺の正式名称は「東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)」であり、多くの人が指さして「銀閣寺だ!」と口にするあの建造物も「銀閣寺」ではなく「銀閣」、そして銀閣の正式名称は「観音殿(かんのんでん)」です。

これは金閣寺も同様、正式名称は「北山鹿苑寺(きたやまろくおんじ)」であり、あの金に輝く建造物は「金閣寺」ではなく「金閣」、そして金閣の正式名称は「舎利殿(しゃりでん)」です。

要するに、両方ともお寺の一部であってお寺ではありません。

しかし、現在は金閣は金閣寺、銀閣は銀閣寺と呼ぶのが一般的になっていますので、そう呼ぶのが間違っていて恥ずかしいという訳ではありません。

また、そちらの方がイメージもわきやすいので、このブログでも金閣は金閣寺、銀閣は銀閣寺と呼ぶようにしています。

話を銀閣寺の名前の由来に戻しますが、室町幕府3代将軍「足利義満」によって創建された鹿苑寺舎利殿は、当時から内外に金箔が押され、黄金に輝いていた事から金色の楼閣、金閣と呼ばれるようになったそうです。

これは納得なのですが、問題は銀ではない慈照寺観音殿が、なぜ銀閣と呼ばれるようになったかです。

調査してみたところ、いくつか諸説があるようですのでそちらを紹介していきます。

諸説1.元々銀箔が押されていたから銀閣寺説

慈照寺観音殿が銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代以降の事であり、1658年(万治元年)に刊行された観光ガイドブック的な存在「洛陽名所集(らくようめいしょしゅう)」などに「銀閣寺」といった名前が見られます。

この事から「その当時、銀閣寺は銀だったのでは?」という一つの説が浮かびます。

しかし、X線による元素分析や誘導結合プラズマ質量分析法(微量の元素でも検出できる分析法)といった科学的調査を行った結果、銀が検出される事はなく、元々銀閣寺は銀箔が貼られていた可能性はほとんどなくなりました。

実は一部に銀箔が貼られていて、試験を行った部分には銀箔が貼られていなかっただけという可能性もありますので、銀箔が押されていた可能性が完全に0という訳ではありません。

ですが、科学的調査を行い結果がでなかったのですので、銀箔が銀閣寺の由来というのは考えにくいでしょう。

諸説2.銀箔を押そうとしていたから銀閣寺説

銀閣寺は創建当時から約93年前に完成した金閣寺を参考にして作られた建築物です。

金閣寺を参考にする訳ですから、「よし、こっちもピカピカな建築物にしよう!」と計画を立てるのが普通ではないでしょうか。

しかし、建築中に資金の関係で銀箔を押すのが困難になってしまい、銀色にする事ができなかったという説があります。

銀閣時が完成したのは1490年(永徳2年)といわれており、建築期間は1480~1490年の間と言われています。

その時期は、応仁の乱が終わった直後(1477年)である為、幕府の財政状態が悪く、資金援助を十分に受ける事が出来なかったと考えられるでしょう。

ですが、足利義政の妻・日野富子は資金援助を一切受けない人だったと言われており、そんな嫁を持ち、更には幕府の財政状態が悪い状況下で、建造物を銀箔で埋め尽くそうと考えるのも不自然な話です。

諸説3.銀に見えなくもないから銀閣寺説

黒漆塗である銀閣寺は、日光の当たり具合、錦鏡池(きんきょうち)が反射する日光などによっては、その色がいぶし銀に見えなくもありません。

諸説2でも解説しましたが、銀閣寺は金閣寺を参考にして建築されていますので、誰かが分かりやすいように「銀に見えなくもないから、金閣寺になぞらえて慈照寺観音殿の通称を銀閣寺にしよう!」としたのではないかという説があります。

確かに、片方が金閣寺と呼ばれているのに、もう片方は慈照寺のままというのは、ちょっとわかりづらいですね。

そもそも、足利義政は最初から金閣寺のような光り輝くような色ではなく、風情に溶け込みやすい美しいいぶし銀を目指して銀閣寺を建築していたのかもしれません。

まとめ

銀じゃないのに「銀閣寺」と呼ばれている理由について、今回は調査に調査を重ねてみましたが、結局正確な答えを見つける事ができませんでした。

歴史とはそういうものです。

今後、歴史の分析技術が向上するにつれて、正確な答えが分かるかもしれませんが、今のところ私の中では「銀にみえなくもないから銀閣寺説」である可能性が高いです。

ちなみに、この記事でも何度か出てきた足利義満と足利義政の関係は兄弟と勘違いしてしまう方が多いようですが、足利義満は足利義政の祖父に当たりますので、ついで的な感じで理解しておきましょう。

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