「赤の他人」「真っ赤な嘘」という用語にはなぜ「赤」が使われてる?

歴史

一度は耳にした事があるでしょう「赤の他人」や「真っ赤な嘘」といった言葉。

日常会話やドラマのセリフなどでもよく聞く言葉であるせいか、あまりこの言葉に疑問を抱いた事はありませんでしたが、よくよく考えると「赤の他人」や「真っ赤な嘘」……
なぜ「赤」という言葉が使われているのでしょうか?

という事で今回は、「赤の他人」や「真っ赤な嘘」といった言葉に、なぜ色の「赤」が使われているのか、「赤」は何をいみしているのかを調査し、その結果をまとめてみました。

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なぜ「赤」なのか?その理由について

赤の他人、真っ赤な嘘といった言葉に赤が使われている理由を調べて分かったのですが、実は諸説あるようです……
(このブログ、諸説ありますが多い気がする……)

明確な理由は分かっていないというのは残念ですが、調べた説の中から最も有力かと思われる説をピックアップしてみました。

「赤」は「明るい」ことに由来する説

現在では、色を意味する言葉は269色と数多く存在していますが、はるか昔の古代では、僅か4色しか存在していませんでした。
その4色というのが「赤」「黒」「白」「青」です。

そして、古代の日本ではそれらの言葉が「色」としての分類ではなく、下記のように光の感覚で分類されていたようです。

これら古代の原点色「明暗顕漠(めいあんけんばく)」を基盤とし、時代が進むにつれて色彩を表す「赤黒白青」が想像されたと言われています。

ちなみに
「明(赤)」は、その名のとおり「明らか」の意味
「暗(黒)」も、その名のとおり「暗い」の意味
「顕(白)」は、はっきりとした太陽光のような光の意味
「漠(青)」は、ぼやけている、薄暗いの意味
として使われていたそうです。

上記の事を踏まえると、「なぜその言葉に色を意味する言葉が使われているのか?」というのが見えてくるのではないでしょうか。

例えば今回のテーマである「真っ赤な嘘」や「赤の他人」といった用語で使われている「赤」
この赤は,、先述した通り「明るい」の意味を持っており、その意味に置き換えてあげると「明らかな嘘」「明らかな他人」というように、用語の意味が明確化しますよね。

仏教の言葉「閼伽、阿伽(あか)」からきている説

閼伽、阿伽(あか ※以下「閼伽」)というのは、仏教用語で、仏前などに備えられる「水」の事を意味します。

この「閼伽」が仏教用語では「水」を意味する事から、「水(閼伽)のように冷めた関係の人」から「アカの他人」「赤の他人」へと転じたとも言われています。

ただ、「赤」を使う単語は他にも存在する事から、この説は少々強引にも思えます。

例えば、先述した「赤」は「明らか」という意味も持つから説を正とした場合、「赤の他人」「真っ赤な嘘」といった用語の意味が明確化しますが、この「仏教用語の閼伽から来ている説」を正とした場合、「真っ赤な嘘」などの「赤」を強調した用語の意味が明確化せず、少々強引な説にも思えまね。

まとめ

「赤の他人」や「真っ赤な嘘」といった言葉に使われている「赤」の意味には、諸説あるようですが、最も有力なのは、やはり「「赤」は「明るい」ことに由来する説」が最も有力な説である事がわかりました。

「赤」は元々「明るい」を意味し、それが現在では、「赤の他人(明らかな他人)」「真っ赤な嘘(明らかな嘘)」に転じたものと思われます。

ちなみに今回は、上記の説以外にも「仏教用語「閼伽、阿伽(あか)」」からきている説を紹介しましたが、その他にも
「大きい」を意味する仏教用語「魔訶(マカ)」から、「魔訶(大きい)な嘘」「真っ赤な嘘」に転じたなんて説もありますが、これも強引な説かと思いましたので今回は、まとめにしれっと記載しておきます。

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